「Indian Classics Tokyo」 http://
なにせハードな日々だった。金曜に鎌倉でライブ終わった後岐阜まで走り、土曜の夜はインド音楽オールナイトコンサート「サンギートメーラ」。明け方4時過ぎに会場を出発して再び渋谷へ。そうして迎えたこのコンサートだった。そのために10人乗りのワゴンと運転手を用意していたとはいえ、やはりこの連日不眠長距離移動はなかなかこたえる。
しかし、そうも言ってはいられない。
とにかくこれは、特別なコンサートなのだ。
アミット・ロイとスティーブ・オダ、僕のもっとも敬愛する偉大な音楽家2人が揃うコンサート。
大勢の命を奪いそして今も奪い続けているあの震災から6ヶ月、NYの貿易センタービル倒壊からちょうど10年目にあたる日のコンサート。
僕がインドの笛を吹くと心に決めて門を叩いたあの夏の日から20年、僕のバンスリ人生における成人式でもあるコンサート。
弱音を吐いている暇はなかった。
<第1部>
1. Raga Jaunpuri : alap, khayal in maddhya tintal, tarana in drut tintal
根岸フミエ(vocal) 池田絢子(tabla)
2. Raga Patdeep : alap, gat in vilambit tintal, drut ektal
寺原太郎(bansuri) Shen Flindell(tabla) 山口英里、寺原百合子(tanpura)
Fumie & Ayako photo by Akira Iou |
「午後なんだからMadhuvanti歌えば?」と言ったのだが、取材で被災地にも行ったりしていた彼女はどうしてもこれが歌いたいと言う。カルナラサ(9つの感情のひとつ:悲しみ)の代表的なラーガ。迸るような激情。
実際、肉親や大切な人の命を突然奪われた人に対して、かけられる言葉、納得のいく合理的な説明などあろう筈もない。ただただ何故!?と繰り返し思うだけ。しかしそんな時のためにも音楽はある。たとえこの世に神様がいなくても、音楽はそこにある。
フミエちゃんの伸びやかな声が会場に響き渡る。
タブラにうまく引き継がれていくのを確認して、僕は自分の準備に入る。
Taro & Shen photo by Akira Iou |
Patdeepは今までどちらかというと苦手な、掴みにくいラーガだった。掴みにくいついでにdrut gatもいつものtintal(早16拍子)ではなく、ektal(早12拍子)にセット。せっかくしっかり練習できる機会なのだから苦手なことにチャレンジしてみようと思った。得意なことばかりやっていたのではいつまでも先へ進めない。これは競技かるたから学んだこと。攻めていればこそ守ることもできる。守りに入っていたら攻めることはできない。僕はやはり攻めがるたで行こう。これからも。そう思った。
<第2部>
3. Raga Charukeshi : alap, gat in vilambit & drut tintal
Steve Oda(sarod) Ty Burhoe(tabla) 山口英里、北見智美(tanpura)
Amit Roy(sitar) U-zhaan(tabla) 北見智美(tanpura)
5. Bhairavi - Laaga Chunri Mein Daag
Amit Roy(sitar) U-zhaan(tabla) 寺原太郎(bansuri) 北見智美(tanpura)
Steve & Ty photo by Akira Iou |
Amit Roy & U-zhaan photo by Akira Iou |
その音の豊潤さ。圧倒的なラーガ感。官能と崇高さ。限りなく自由で自在。どう書いてみてもあの演奏を形容しきれるものではない。
Ud. Ali Akbar Khan と Pt. Nikhil Banerjee、2人の偉大な音楽家の遺伝子が、たしかにここに引き継がれて存在している、そのことだけでもう充分だ。
本物とはかくも巨大で圧倒的なものか。おそらく会場にいたすべての人がそう感じていたことと思う。
この人たちと同じ場所にいることができて、本当に幸せだと思った。
垣間見えたその道の果てしなさに絶望しつつ、同時に恍惚の極みに打ち震える。インド音楽はこんなにも凄い音楽で、僕の先生はこんなにも凄い人たちだった。あーまだまだだ。20年なんてほんの入り口だ。全然だ。もっともっと、ずっとずっと遠くまで道は続いている。命のある限りどこまでも行こう。半ば遠のきつつある意識の片隅で、再び誓いを新たにするのだった。
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